2011年の3月11日から14年が経ちました。
14年前の震災時、自分は利用者さまの入浴介助中でした。何度か繰り返す揺れに慌てながら、ご利用者さまの体を整えて部屋に戻ると、テレビからは津波の映像が流れていて‥
今もその光景は忘れません。
そして、福島の原発事故。
自分は恥ずかしいことにそれまで普段使っている電気がどのようにつくられているのかを考えたこともありませんでした。
原発事故の報道をみてはじめて、自分が使っている電気がこんなに危険性がある方法でつくられていることを知りました。
何も知らない・考えないで生きてきた自分。罪なことだと感じました。
それでも今もこれからも電気を使わない生活をすることは、自分には無理だと思っています。
だからといってこのままでいいわけはないけれど、何か行動を起こすにはとてつもない途方さを感じていました。
でもだんだんと、電気がリスクのある方法で作られていること・そして自分はその電気を使わなくては生きていけないことを意識して、電気を利用していこうと考えるようになりました。
また、本当に小さな自分にできる身の回りのこと、ひとつひとつからでも、自然にやさしくできる行動を選んでいきたいと思っています。
自分ひとりの小さな選択でも積み重ねれば、と思いながら日々の生活を。
14年前の震災時、自分は利用者さまの入浴介助中でした。何度か繰り返す揺れに慌てながら、ご利用者さまの体を整えて部屋に戻ると、テレビからは津波の映像が流れていて‥
今もその光景は忘れません。
そして、福島の原発事故。
自分は恥ずかしいことにそれまで普段使っている電気がどのようにつくられているのかを考えたこともありませんでした。
原発事故の報道をみてはじめて、自分が使っている電気がこんなに危険性がある方法でつくられていることを知りました。
何も知らない・考えないで生きてきた自分。罪なことだと感じました。
それでも今もこれからも電気を使わない生活をすることは、自分には無理だと思っています。
だからといってこのままでいいわけはないけれど、何か行動を起こすにはとてつもない途方さを感じていました。
でもだんだんと、電気がリスクのある方法で作られていること・そして自分はその電気を使わなくては生きていけないことを意識して、電気を利用していこうと考えるようになりました。
また、本当に小さな自分にできる身の回りのこと、ひとつひとつからでも、自然にやさしくできる行動を選んでいきたいと思っています。
自分ひとりの小さな選択でも積み重ねれば、と思いながら日々の生活を。